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私が英語が苦手になった理由

わたしは英語が苦手だ。

じゃ、何語が得意なのかと聞かれても困る。

日本語以外はしゃべれない。

BUT!、聞いて驚くなよ?

今でこそ、こんなしゃべれない私であるが、実は小学1年生から英語の授業がある英才教育の私立校に通い、ほぼオール5の優等生であった。

つまり、小学校時代は英語エリートであったというわけだ。

小学6年生で受験勉強し、県でダントツナンバーワンが集まる私立中学に進学した。

中高一貫教育の進学校である。

日本人のほとんどの学生は中学1年で英語を学び始める。

その時点で、私はすでに6年間の英語授業を受けており、ある程度の語学力があった。

県内で最も優秀な面々が集まっている学校というのは、とても嫌な感じで、自分が一番優秀で賢いと信じている人間の集まりである。

これは、とても居心地の悪い集団であった。

この学校では、入試の成績上位者に、学級委員の各役が割り当てられることになっていた。

私も生徒会代表に指名されたので、国語算数理科社会の成績も上位であったということだろう。

そんな環境下において、始まった英語教育レースにおいて、スタートから私だけ周回先をダントツトップで走っていたわけである。

私の通っていた英語教育私立小学校出身者はクラスに私一人だけである。

担任は英語教師であった。

担任教師は、「薪屋岳はひとりだけ英語ができる」と初めから知っていたから、1年の最初の授業から私を毎回指名し、教科書を朗読させた。

もちろん、小学校で6年間も学んだ後、1年生英語の教科書を読むのなんて、たるくてしょうがないレベルであったので、これ見よがしに、英語っぽいアクセントで

an apple アンナポー とか、

an orange アンノレンジ とか、

発音して粋がっていた。

BUT!、教師に特別扱いされる「いい子」は嫌われる。

英語が上手かったせいで、中学時代は生きにくいものとなった。

それが、たたりか原因かは定かではないが、英語は嫌いな教科になってしまった。

ついに高校時代には、例の教師に指名されても、うまく読めない子になっていた。

 

BUT!、中高もバリバリの英語教育を受けたわけである。

大学はというと、東京で最もハイソなお坊ちゃまとお嬢様が集まる大学に進学し4年間を過ごした。

もちろん英語は必修で、ドイツ語も学んだ。

こんな小学1年生から語学エリートコースを歩んだはずの私が、なぜ英語が苦手というのか?もちろんドイツ語も全くダメである。

薪屋岳は、謙遜しているのか、嘘つきなのか。

いやそんなことはない。

大変苦手である。

なぜそんなことになってしまったのか?

謎である。

私だけでなく、日本人の多くが、このような謎の人になっている。

勉強はしたはずだから、もっと英語がしゃべれてもいいはずなのに。

英語耳がないせいだという話をきいて、聞き流し英語教材も試したが、あれは私には全然合わなかった。全く聞き取れない。

スマホアプリで、音読スピードを調整できるのがある。

それを使ってみたら、多少聞き取れる。

BUT!、単語の意味が分からないものはあたりまえだが、聞き取れない。

認識できる単語が少なすぎるから、あわあわ、となってしまうのが、苦手意識につながっている。

文法とか、時制とか、難しく学習させられたから、そのへんを学びなおさないと、無理、という気がしていることが、壁を作っている。

 

そんなこんなで、苦手意識は成長したような気がする。

 

仕事で海外に行って、生の英語に立ち向かうことが多々あったが、これも苦手意識を増長させた原因の一つである。

ビジネスで、海外まで出張してきているから、もちろん話せる奴だろう、と向こうは機関銃のように、(実は)フツーのスピードで、まくしたてるから、さっぱりヒアリングできぬ。

モアスロー、モアスローリー、と懇願するうちに、もういいよ、という顔をされる、を何度経験したことか。

英語苦手意識ゼロ芸人の出川が海外で、現地人にでたらめ英語でしゃべりまくるが、ビジネスの場面では、あんなふうには進まぬ。

こうして、苦手意識が成長する。

今では、昔よりも貝になってしまった。

 

そんな私に、お題で「英語」ときたもんだ。

いろいろ書くより、英語の勉強をしたほうがいいかもしれない。

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