いだてん東京オリムピック噺は天才クドカンの預言書だったのではないか。
今日はトーキングマラソンやってみた、のほうを書いてみる。
とても面白そうな企画だが、平日にこれをやっている余裕はないので、休日にゆっくりトライしてみたい。
マラソンと言えば、いだてんの金栗四三である。
NHKの大河で「いだてん」放送開始前には、来年が東京五輪だということで、クドカンに脚本を依頼し、ビートたけしまで担ぎ出して、NHKも盛り上げ企画で行くわけか、と期待して観戦したわけだが、史上最低の大河と酷評されるほどの寂しいドラマであった。
今放送されているスカーレットも、スタートはイケていたが、最近は、伝統工芸作家を応援する系のドラマかと思いきや、「愛と死を見つめて」だったのか、と、毎日切ない思いをしながら見ている。
私も昨年、まだ若い、親しい友を白血病で失ったので、このテーマにも絶対共感するのであるが、朝ドラで白血病はキツいテーマであると感じる。
話を「いだてん」に戻そう。
いだてんが、なぜ東京五輪を応援する、盛り上がりドラマにならなかったかというと、ズバリ
呪われたオリンピック噺
だったからである。
麻生太郎、久しぶりの暴言だが、ズバリ言い当てていると感じた。
今回のコロナウイルスパンデミックによる東京五輪中止は、いだてんの東京五輪中止と重なってしまう。
戦後、高度成長の源となった東京五輪は、戦後復興への想いだけでなく、失われた東京五輪の再チャレンジへの熱い想いが、成功に導いた。
今回の失われた東京五輪への再チャレンジは、田畑政治の代わりに誰がやってくれることになるのか、そちらに期待したい。
天才宮藤官九郎が、スカッとしない、実に悲しく切ないオリンピック噺「いだてん」を書きあげたのは、天才クドカンならではの預言書だったのではないかと、感じるのは、私だけであろうか。
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