羽鳥慎一モーニングショーを観ながら、悲しい現実に打ちひしがれた。
今日は祝日なので、羽鳥慎一のモーニングショーを、いつもよりゆっくりと視聴することができていたのだが、強烈な違和感というか、憤りに襲われて、見られなくなった。
そもそも東京五輪、なぜ1年延期したのか。
コロナ禍の中、世界中から選手団を集めての大会開催は無理だと判断したからではないか。
延期を判断した時点と、今と、何がどう変わったから、開催可能という判断であるのか?
欧米各国は、ワクチン接種も始まり、経済回復に向かいつつあるが、感染状況は、ニッポンに比べると、著しく酷いのは、変わりない。
さらに、インドは被災地の状況であり、毎日40万人を超える感染者が出ている。
毎日40万人のPCR陽性数をカウントするためには、その数倍の検査をこなしているはずで、もちろん検査だけでない、重症患者、死者数もすさまじく、医療壊滅どころか、死体の山、戦場と化している。
普通に考えれば、東京五輪にボランティア医師、看護師を要請するよりも、まずはインドに災害支援が先だろう。
インドに災害派遣が必要という話をしても、
何がインドだ?よその国に医師や看護婦を派遣できる状況じゃないだろう?
国内もまさに緊急事態宣言中であり、変異株が急速に拡大してきて、昨年以上の患者数を連日更新中であり、一方ではワクチン接種も始まり、医療従事者は不足。
この状況が分かっていないのではないか?
という、コロナ渦中の関係者が多数いらっしゃるはずである。
さらには、コロナ禍のために、もう限界、明日が見えない、という生活困窮状態に陥っている方も多数いらっしゃるはず。
そんなそんなの戦時状況下で、平和の祭典を行おうという、それも無理無理、無理を通すために、無観客開催も前提である。
ここまで五輪にこだわる必要がどこにあるかというと、理由はただ一つ、スポンサーの巨大利権と、ここまでかけた時間と金であろう。
コロナで家族が死にかけているとしよう。
その時、オリンピックを楽しめる人がいるだろうか。
病床で、池井選手に励まされた、と感謝しながら絶命する患者もいるかもしれないが。
義父はコロナ禍前に、介護福祉士からインフルエンザウイルスをもらい、肺炎で亡くなってしまった。
今、コロナで、このような患者が多数いるようだ。
その義父は、闘病中、東京五輪を観たい、東京五輪までは生きたい、と言っていた。
そんな夢と希望の東京五輪であるのも事実。
何が正しくて、何が間違いなのか。
SDG’Sとかきれいごとばかり言っていても、現実は戦場。
太平洋戦争で唯一の被爆国、東日本大震災でFUKUSHIMA50もリアルに見てきた日本人が、脱炭素を達成するためには原発再稼働、とか、平気でいうが、コレと同じ構図だと感じる。
同じ日本人、同じ人間なのに、ね。
っと、今週のお題「おうち時間2021」だった。
おうち時間は、いろいろ考えてしまうよ。