この悩みも哲学者がすでに答えを出していると思うけど
今週のお題チャレンジ、英語で一週間引っ張るのはキツイなあと思ったら、他のお題を選ぶことができることに気づいたので、変更してみた。
昔から
これって、俺だけかい?
と思うことは、しばしばある。
BUT!、若い頃は、そう思いながらも、
みんなそう思っていても言えないだけに違いないから、自分が代表して声を上げなければ!
と気概を持って臨んできた。
そのたびに嵐を巻き起こしてきた。
わたしは、ひとの言えないことをズバズバ言える、というか、思いついた瞬間に言ってしまう。
これって、俺だけかい?
と思うくらい、フツーのひとは、思ったことをすぐにその場で口にしたりしない。
会議の時、社長が意見を求めるのに、シーン、と口を閉ざしていたって仕方なかろう?
どんどん活発に意見を戦わさないでどうする?
シーンと時間を共有したって時間の無駄であろう。
会議に出席しているのなら、意見を述べよ。
と思う。
BUT!、沈黙は美徳なり、と思っているのか、会議に出席しても口を開かぬ輩がなんと多いことか。
こういう会議では、ひとりひとり何か意見を言いなさい、と順番に発言を求められたりする。
また、これが面倒である。
はじめから沈黙しているくらいだから、ひとりひとりきいたところで、社長によいしょするか、大勢に影響ない無難なことしか言わぬ輩が多い。
あー時間の無駄だ。
そう思っているのは俺だけかい?
おそらく、コレを読んでいる人は、ブログを書いている人がほとんどだから、自分の意見を持った人が多いと思う。
BUT!、自分の意見を持っているからと言って、人前で自分の意見を述べるかというと、そうでない人のほうが多数なのかもしれない。
かつて、会社の会議で社長とバリバリ対立した時、
みんなそう思っているはずだ。
同じ思いだ。
と出席者全員の代表と自負して、叫んだことがある。
BUT!、そうだその通りだ、と言える空気感でなく、出席者は皆、氷のように固く硬く口を閉ざしていた。
はっきり言って、私はその場で浮いていた。
浮きまくっていた。
空気を読めない、KYとかいう言葉は、まだなかった頃の話である。
社長はヤカンのように沸騰していた。
会議の後、
私も同じ思いです。みんなもそうだと思います。会議で社長に意見を言える〇〇さんはすごいと思います。
というメールを送ってくれた人がいた。
この言葉には救われた。
非常にうれしかった。
やっぱりそうだよな、俺だけじゃないよな、みんなそう思っているけど言えないのだよな。
と励みにして、次も頑張った。
そういう経験も経て、今でも、がんばっている。
言いにくいことでも正しいと思うことは意見するし、間違っていると思うことにはそれは違う、と言うようにしている。
ただ、年を取ってくると、丸くなるというが、ただ単に角が取れるというのではなくて、ひとはそれぞれ違う考えを持っている、ということが分かってきた。
若い頃は、自分は正しくて、ひとは間違えている、と思うことが多かった。
最近は、そういう考え方もあるかもしれないが、こういうふうに考えることもできるけど、そのほうが良くない?という、
多様性に対しての気遣いができるようになってきた。
私はこれまで、人生において、何度か大きく傷ついた出来事があった。
その精神的ダメージ、ショックから立ち直るには相当の時間を要した。
BUT!、自分の受けた大きな痛みが、人に対する思いやりを持てることにつながった。
自分勝手で、ワンマンで、人のいうことなど関係なしで、我が物顔で生きている人が、たくさん存在する。
かつては、そういう人が許せなかった。
今でも、
あの人は、あんな生き方がよくできるなあ
と思う。
以前なら、そういう人を相手にすると、お前はおかしい!とか、お前のその態度が許せない、とか、戦う場面が多かった。
BUT!、今ではそういう人のことも認められる。
自分自身が人の痛みを知るまでは、本当に人にやさしく生きることなんてできないのだから、仕方ないよなあ
あの人はあの人で、懸命に生きているだけで、他者には分からぬいろんな事情を抱えた人なのかもしれないのだから、見守ってあげるしかないな。
と思えるようになってきた。
パワハラとか、いじめとか、他者に危害を及ぼす場合は別である。
許さない。
自分に対してだけなら我慢するというか、受け流すことができる。
これって、私だけ?
がお題であった。ノープランで書き始めるから、思わぬ方向に筆が進んだ。
下記進めながら、
やっぱり、これって、俺だけの悩みなのかもしれないな、と思った。