人生万事ドーパミン!

自由奔放に、前向きに、コレが一番大事!

哀しいことだがボケていくということ

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認知症の第一人者が認知症になった
、というドキュメンタリー番組を観た。(NHKドキュメンタリーより)

戸田恵梨香, ムロツヨシの名演技が光った若年性認知症のドラマ「大恋愛」とか、渡辺謙主演の映画「明日の記憶」とか、このテーマの作品には名作が多い。

 

こののドキュメンタリーは、90歳でまだ執筆も講演もこなす現役バリバリの先生が認知症を発症し、2年間カメラが密着したものだ。

先生は、進行の遅いタイプの認知症だった。

患者になってから、毎日日記をつけていた。

病の進行状況と、心の変化が克明に描かれている。

患者になる前は、医師として、認知症患者の話を聞き、患者の日記を読みながら、指導してきた。

患者になってからは、デイケアセンターへの通所とか、自身が認知症患者に啓蒙してきた患者の1日の過ごし方を、自分で体験する側になる。

デイケアセンターで、先生は、孤独である。

周りの患者と心を通わすことができない。

こんな無駄な時間を過ごしたくない、とすぐ家に帰りたくなる。

翌日、デイケアセンターにはもう行きたくない。

1日中家にいると、妻に負担をかけてしまうから、少しでも自分が家から出るほうが家族のためだと理解できるが、できないものはできない。

 

一方、認知症が進行する中でも、講演活動をやめない。

講演に付き添うのは、娘の仕事である。

前日の打ち合わせどおりにやらないと、付き添いにあたる娘は心配でやきもきする。

先生は、観客の反応を見て、機転を利かしたアドリブで、講演の最後に謳う予定だった歌を突然歌い出した。

娘は、先生の意図が分からないから、ボケてしまっているせいで、講演を飛ばして、最後の歌に突入したのだと思ってしまう。

ボケ始めてしまってからの行動は、異常行動でなく、機転を利かせた行動であっても、なぜその行動をとっているのか、家族にも理解できない、理解されなくなる、というのがとてもつらいことだ。

 

調子の悪い日はうつになる。

うつの日には、死にたくなる。

 

毎日、妻と暮らすうちに、妻への愛情が深くなっていく。

 

ボケが進行し、夢と現実の境目がだんだんわからなくなっていく。

朝起きて、自分がはっきり自覚できなくなっている。

確かさが、なくなっていく、と表現されていた。

妻の声で、意識がはっきり戻る。

妻の声は、存在は、偉大である。

妻がかけるおはようという声が、正気の世界へ連れ戻す

今日もまだ自分でいられたのだと、認識できる。

そういう話のひとつひとつを、認知症の第一人者が語るから、とてもよく理解できる。

悲しみも理解できる。

本当に身につまされる。

 

長寿化時代、長生きをすれば、認知症になるか、がんで死ぬか、どちらかである。

悲しいかな、現代の長寿というのは、そういう結末が多い。

他人事でなく、身につまされる。

最後に、娘のことを、妻と間違い始め娘が驚く。

うちも妻と娘だが、妻にも娘にも迷惑はかけたくないなあ。とつくづく思った。

 

私には、母がいる。

母は膝が悪くなってきており、毎日痛いという。

医大に名医がいて、診てもらうことができた。

手術を進めるのだが、いやだという。

デイケアセンターに通って、リハビリをしたら、と薦めても、いやだという。

年寄は頑固で、自分のいやなことには耳を貸さない。

なんとか、治してあげたいと思って、アドバイスを送るのだが、イヤイヤばかり。

一体どうしてほしいのか

と思う。

実は、根本的な解決策は望んでいなくて、怖いことや、知らない場所での人付き合い今とかするくらいなら、我慢するから、今のままでもよい。けど、痛いのよ、と話を聞いてほしい、ということらしい。

これに気づくまで、だいぶ時間がかかった

しかし、話をまじめに聞いてしまうから、それならこうしたほうがいいとか、ついつい、本人の望まぬ、余計なことを言ってしまう。

うんうんと、話をきいてあげる。

そうじゃないよ、とか言わないで、そうか、そうだね、つらいね。がんばってね、と聞いて上げられれば、それだけで良い。

年寄にはそういうことが大事だという場合もあるようだ。

 

私は、月に1回くらいのハイペースで、ヘルペスが発症する、と以前記事に書いた。

makiyagaku.hatenablog.com

2-3日前、またその前兆と思われる口の周りのムズムズ感が出てきたので、朝、ヘルペスの特効薬を飲んだ。

24時間ごとに2錠ずつ3日連続で服用する、と書いてあるので、6錠分を

水、木、金、とサインペンで印をつけて、飲み始めた。

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今回は、副作用か、激しい下痢になってしまい、2日目を飲むべきか、迷ったのだが、抗生物質は、途中で飲むのをやめると、まだ死んでいない菌が、耐性を持ってしまい、次回効かなくなるというので、しかたなく、2日目も飲んだ。

なので、激しい下痢は2日目も続いた。

3日目の朝。

下痢が酷い。

早めに薬を飲み始めたのが良かった。今回は、ヘルペスの水泡が出ない。

下痢はひどいが、効果があって良かった。

ヘルペスも、微塵も出てないし、今回は、3日目の薬は飲まなくていいんじゃないかな。

なぞと考えているうちに、ふと、気が付いた。

あれ、おとといから飲んでいる薬はアジーじゃないか?

アジーは抗生物質だから、やっぱり3日目も飲むべきだ、いやちがうぞ。

2日続けて飲んだ薬はアジーだ。

アジーは、副鼻腔炎の薬だ。

ヘルペスの特効薬だと思って、違う薬を、下痢も我慢しながら飲んでいた。

なんてこった。

やれやれ。

結局のところ、ヘルペスが始まる前兆だと思っていたムズムズも、気のせいだったのかもしれない。

ヘルペスの特効薬があるから、ヘルペスが深刻な状態になる前に食い止められる、と思って、早めに特効薬を飲んで、発症を抑えられてよかった、と思うのも、単なる思い込みであるかもしれない。

以前、それは感じたことがあるが、薬を飲まないで、そのまま過ごしていたら、ほんとにヘルペスになってしまっておしまいだし、早めに薬を飲むと、薬のおかげで発症しなかったのか、実は、前兆だと思ったムズムズは気のせいだったのかもしれない。

非常に難しい判断である。

それにつけても、ヘルペスの薬と間違えて、副鼻腔炎の薬を飲んでいたのは、やらかしすぎている。

認知症がそこまで来ている?!

悲しい。