どんな楽天家でも人生は切ないのだ
まずは私の愛読ブログである、雨読さんの「野村晴耕園の凸凹日記」の昨日の記事
を読ませてもらった。
雨読さんの診断結果は
芸術家、研究者、の複合型
だったそうだ。
えっ? 私は、何型だろう?
と気になりだしたら、即実行!
記事に書かれていた無料アプリ
に、すぐさまトライしたのである!
診断結果は、
あなたは
楽天家
タイプです
楽天家タイプは
回答者の方は、とにかく明るく、楽しいことが好きな人です。
旺盛な好奇心に実行力が伴っています。
ただし、長時間集中するは苦手で、つめが甘く、飽きっぽいところもあります。
逃げ道があると、すぐに楽なほうへと逃げようとすることもあります。
あなたの回答データはこちら
完璧主義者 4
献身家 5
達成者 8
芸術家 9
研究者 6
堅実家 1
楽天家 12
統率者 8
調停者 -3
と、ちょっと想像してみれば、すぐにわかる、大当たり!な結果であった。
なんてったって、
人生万事ドーパミン!
の作者、薪屋岳だからね、そりゃあ、そうだ。
楽天家のゲージが振り切れているのが、可笑しすぎる。
別に、ネタにしたくてわざと回答したものではない。
素直に回答した結果である。
興味ある方は、上記リンクからトライしてみれば?
もちろん無料だし。
ただ、90問も回答して、こんな詳しいデータを与えられたら、さらにこれ以上に詳しく知りたくなってしまった。
なので、私は、この先生の本も買って、読んでみたいと思う。
アフィリエーターが本を買う時には、まずその本の紹介だよね。
自慢することではないのだが、今までクリック報酬で得た収入は、自分で買ったのだけだ。
ま、少しでも安く買えるのなら、それはそれでよいのだ。
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」に始まり、アドラー心理学をずいぶん勉強させてもらったけど、心理学の奥深さには恐れ入る。
岸見一郎先生の、自分の子育てを通じて実証した話は、実に分かりやすいのでおススメなのだ。
私が、オーディオブックにハマったきっかけは、この連作だ。
この2作の後も、オーディオブック化されている岸見作品はすべて聴いた。
閑話休題。
今日は、会社帰りに、床屋に行った。
私の行く床屋は、1200円の格安理容室だから、カットオンリーで洗髪なし。
洗髪は、帰宅後風呂に入ればよいのだから、このシステムはきわめて合理的で良いと気に入っている。
というより、理容室で髭を当たってもらうと、必ず出血大サービス!になるので、ご遠慮いただくことにしている。
散髪終わった後、車を運転しようとしたところ、前が良く見えない。
いかん、床屋に眼鏡を忘れてきたようだ。
実は、前回も忘れてきて、取りに戻った。
最近物忘れがひどくて、弱ったものだ。
床屋に戻って、
すみません、眼鏡忘れたみたいで。
と、声をかけて、座っていた席の前の、眼鏡を入れるケースを覗いたが、見当たらない。
あれ、ここじゃなかったか、隣か?
両隣もない。
すみません、眼鏡を忘れたみたいでー!
髪を切ったら、用なしと、控室で休憩している従業員に声をかけるが、
何も触ってないからー。
と、出てくるでもなく、ぶっきらぼうに、勝手に探せという感じの声。
なんせ、こっちは眼鏡をかけてないから、ぼんやりとしか見えないのであるが、あればあるとわかりそうなもので、つまり、元の場所には見当たらない。
おかしいな、かけてったのかなあ。
どこかに置いたのかなあ。
すみませんでしたー。
と、車に戻る。
ボンネット、シート回り、助手席、いろいろまさぐって探すものの、見当たらず。
ポケットにも入ってないし、こりゃないな。
一体どこへ消えたんだ?と考えながら、
あのメガネ、高い奴だし、なくなると痛いなあ、
などど、もうなくなった前提で考え始めていたり。
数日前、会社で、床屋の話になった。
私が、格安の床屋を利用していると話すと、同僚が、
ああいうとこって、受刑者を雇っているそうですよ。
と、いやなことを言われた。
そんな話を突然思い出してしまい。
まさか、忘れ物を盗むとか、捨てるとか、するのだろうか?
なぞと、ありもしない妄想を掻き立てられたり、もうおかしくなっている。
車を降りて、もう一度見まわすと、
あった。
荷台の上に、眼鏡を発見。
(私の車は、軽トラで、荷台がある。)
いや、よかった。
そうか、ここに外して、置いたのか。
格安理容室はシャンプーしないから、店外に出た後、細かな毛が頭皮に沢山残っていて、頭をガシガシと猫のようにかきむしることで、きれいにする。
その時、外した眼鏡を置いたんだね。トラックの荷台に。
頭ガシガシして、さっぱりしたら、眼鏡のことはサッパリ忘れて、運転席に乗り込んだから、あれ、なんで、前が見えないのかな?状態になったというわけだ。
まるで猫だね。
いや、長くなってしまった。
今日、何を思ったかというと、
自分のボケを棚に上げて、というわけではないが、
眼鏡を探している時、一瞬でも、人を疑いかけた自分がいたことに驚いた。
眼鏡の置き場所を忘れたボケ度よりも、「受刑者」の話を思い出したほうが、恥ずかしかった。
会社で「受刑者」の話を聞いた時には、そんな話、まったく気にしていなかった。
なので、いつも通り、また今日もこの床屋に来たのだ。
それにもかかわらず、こういう事件(結局何もなかったが)が起きた時には、そういう負の記憶が、突然ボケ頭のメモリーから呼び起こされる、というのが、なんとも切ないではないか。
人が生きていくために、生き残るために、「キケン」とインプットされると、つまらないことでもメモリーに残るようにセットされているのではないかと思う。
私は、超がつくほどの楽天家なのに、
本能的に疑ってしまった。
とても悲しいことだ。
せつないことだ。
生きてる限りせつないのです
やさしさを持った人間が どうしようもない せつなさを心に抱いて この世の中を生きて行く我が青春のバイブル「俺たちの旅」より