イノシシが街にやってきた。
薪ストーブの火を点けながら、炎の揺らめきを眺めながら考えた。
日中、ドーパミン噴射しまくって仕事していると、家に帰ってからの薪運びとか、ストーブに火を点けて、温度を上げていき、二次燃焼にもっていき、500度くらいで安定したら空気を絞る、とか、頭を空っぽにしてぼーーーっとできる時間が大事に思える。
猫を抱っこして、もみもみとされながら、ゴロゴロ喉を鳴らしているのをきいているのも同様に、大切な「癒されタイム」だ。
次々とやらねばならぬことがあって、ストーブも猫もかまっている間がない、と思える時でも、これだけは大切にしている。
今日はドーパミン出ない。
の翌日。
やはり、セレトニン不足気味で、マイナス思考気味。
福島原発事故直後、セシウムを大量に含んだ「黒い雨」が、長野にも降ったという。
昔ながらのナラやクヌギのほだ木で栽培されたキノコは今や店頭で扱われなくなった。
すべて菌床栽培といって、工場のような人口環境で育てられているものしか販売されていない。
今でも放射能汚染が怖いからだ。
当時黒い雨を浴びた山の木が切られて、薪にして、販売されている。
セシウムの半減期とか、当時はニュースでいろいろ騒がれたが、自分たちが生きている間には、何も変わらない。何万年単位の話をしても仕方ない。
そうして忘れられつつあるが、一方で、白血病で亡くなる若者が増えてきた。
一昔前、山口百恵が主人公を演じていた「赤い疑惑」で世の中の人々がはじめて白血病を認識したころ、「再生不良性貧血」なんて初めて聞く病気で、本当に珍しい病気だった。
「なんて不幸な話だ」と思って、他人事のように視聴していたはずである。
それがどうだ、私たちの周りに、白血病と診断される若者がどんどん出てきた。
今年、娘の親友も若くして亡くなった。
いたたまれない。
日本はチェルノブイリ化している。
にもかかわらず、それはタブーで、がんばれ福島、と応援する方が正しい日本人だ。
長野も今回の台風で被災地となり、今も多くの被災者が避難所生活をされている。
そうした現実をずっと直視しているのはつらい。
つらい番組には視聴者は付かないから、報道されなくなる。
原発反対しているやつが、バカじゃないかといわれるようになる。
福島から長野にまで逃げてきた母親と昨年話をしたのを思い出す。
子供2人は、岡山と神戸の大学に行かせた、自分たち夫婦も九州に引越を考えている、と言っていた。
神戸大学の著名な先生が、今も、セシウムの危険性を説かれているが、クローズアップされないと言っていた。
魚は食べてはいけない。
西日本産の肉と野菜を選ばなければいけない、と、我が子に伝えるような、親身な話をしてくれた。
ちょうど当時、白血病を告白した池江璃花子さんも東京の水の犠牲者だと言っていた。
特に水泳選手は1日中汚染水に浸るからかわいそう、と言っていた。
どんどん話がそれてしまったが、今くべている薪は、まだ汚染されていない薪だ。
この先、そのようなモノがなくなると、ゆらめく炎の先に、放射能を感じる日が間もなくやってくるのだろうか。
どこまでが真実で、どこから過剰反応といえるのか。
人はあながち、自分の都合で、それを決めたがる。
また、タイトルと違う話になってしまった。
タイトル写真は、私の尊敬する柚木寿雄さんのイノシシ。
ニュースを見ていて、最初に思い出したのは、この陶芸作品だった。