人生万事ドーパミン!

自由奔放に、前向きに、コレが一番大事!

学生時代のアルバイトは人生の大切な1ページなのだ。

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学生時代にはいろいろなアルバイトをした。

今振り返れば、大学にはほとんど行かず、バイトに明け暮れていた。

バイト経験や友人との付き合いを通して学んだ社会体験が、社会人人生の礎になっている。

もう何をやったか、一つ一つ覚えていないよ、と思いながら、記憶をたどってみると、へえ、そんなバイトやってたんだなあ、と懐かしく思い出される。 

 

少年時代、喫茶店といえば、「仮面ライダー」とか「750ライダー」に登場する粋なマスターと素敵な仲間が集う「憧れの場所」だった。

当然、学生時代、アルバイトをするのに真っ先にイメージしたのは、喫茶店のウエイターだった。
当時、コンビニでアルバイトニュースを買って、たまたま募集されていた、池袋サンシャインシティの銀座コージーコーナーのウエイターに応募した。

この仕事をやったのが、東京で学生時代のバイトの最初の方だった気がする。

 

伝票にICと書いて、横棒一本引いて、

アイコワン

と叫んでいたのを思い出す。

アイスコーヒーひとつオーダー入りました、ということですね。

横棒は、「正」の第1画目の横棒だね。

「正」は五画になるので、「正」が二つで10個と、数えやすく、今なら、端末で注文取るのが一般的だが、当時は注文を「正」の字で書いていくのが一般的だった。

 

喫茶店のウエイターという仕事は結構好きだったが、上京して間もない頃は、どの喫茶店がどういうものなのか、とか、ちっとも理解していない。

今から思えば、ルノアールとか滝沢とか、もっと普通の喫茶店を選べばいいのに、なぜ銀座コージーコーナーなんていう、洒落たケーキ店を選んだのだろう。

池袋サンシャインシティといえば、今の東京スカイツリーのような場所であったから、当時イチバンの東京はめっちゃ体験できた。

が、自分の想像する「喫茶店」のイメージとはかけ離れていて、次にバイト先に選んだのは、大学とアパートの中間地点にあった下町のコーヒー通が通う名店だった。

この店で初めて、コーヒーには豆の種類がたくさんあって、様々な香り、味わい、があり、サイフォンを使った淹れ方も、水出しコーヒーとかいろいろあることを知った。

この頃の日本の喫茶店の美味しいコーヒーの淹れ方を再現したこだわりカフェが近年復活してきたが、この店は昭和の名店のひとつで、マスターはこだわりがすごく、コーヒー通が集う本格的な店だった。

カップアンドソーサーは、ブレンド用はノリタケの白磁で、ストレートのデミカップとか、ロイヤルミルクティーなどはマイセンの高価なものを使用していた。

当時、オーディオ業界もすでにCDの時代であったが、店主は収集したアナログレコードを高級オーディオセットで大切に鳴らしていた。

ちょうどジョージウインストンが流行り始めた時期で、毎日、四季を聴きながら仕事していた。

客層も自分の夢見た「750ライダー」の喫茶店に近いイメージで、750に乗った連中も常連で毎日来るし、1杯1000円以上するブルーマウンテンとかキリマンジャロとかを毎日飲みに来るコーヒー通の老夫婦まで、さまざまな客層でにぎわっていたが、どのお客様も美味しいコーヒーを、いい店空間で、いい時間とともに楽しみに来られているのがよくわかる素晴らしい店だった。

 

この店のスパゲッティナポリタンとバジリコが、絶品で、就職、結婚後もその味を何度も再現を試みた。

出張で近くに行ったときに、立ち寄ってみたら、もうその店はなくなっていた。

この店の数軒隣の、毎日来ていた常連さんの店で話をきいたところ、マスターはずいぶん昔になくなり、店も閉じたと聞いた。

マスターと一緒に働いていた店長や常連のライダーたちは、今どうしているのだろう、と思いながら、もうあそこには戻れないのだな、と寂しく感じた。

 

ついでに学生時代を過ごしたアパートにも行ってみた。

当時でもボロアパートだったから、当然と言えば当然だが、もうボロアパートはなく、マンションが建っていた。

当時は、どの駅に歩いても15分以上かかる、都心でも少し不便な街だったのだが、その後地下鉄新線が開通し、駅がすぐ近くにできて、一帯は、素敵なマンションエリアになっていた。

いつもお昼や夕飯を食べた店とか、懐かしい店はすべてマンションになり、なくなってしまった。

 

ちょっと歩いたところに日本通運がある。

ここでも発送のバイトをしばらくやったことがある。

当時から今もまだあるのはこれだけか。

日通の向かいには、大きな公園がある。

タイトルの写真は最近撮ってきた。

昼休みには、一緒に働いているバイト仲間全員で、ひとり1枚ずつ段ボールを持って、公園に行った。

芝生の上に大きな段ボールを敷いて、その上で昼寝した。

暖かな日差しを浴びながら、公園で昼寝を楽しめるのは、贅沢な時間だった。

当時はD活という言葉はなかったが、こんな毎日を過ごして、元気に暮らしていた。

いろんなバイトをした。

自由な時間に満ちていた。

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