森友自殺遺書が今になって出てきた裏事情から見えてくるもの
昨夜は、お題「わたしと英語」を2夜連続はしんどいなと思い、お題スロットルを回して、別のお題「これって私だけ?」で書いてみた。
BUT!、元のお題で書いた記事が掲載されている「お題」コーナーには、記事が掲載されてなかった。スロットル回した場合には、どこへ行ってしまうのだろう?
そんなわけで、今日はスロットルは回さないで、そのまま書くぞ。
コロナウイルス報道一色の中、埋もれてしまいそうであるが、とても大事に思う報道が、
森友学園疑惑の中で自殺した元財務省職員赤木氏の遺書が出てきた
というニュースである。
私は、こういうパワハラで部下を追い込んでいくやり口に怒りを覚える。
前財務局長の佐川氏は、部下を犠牲にして、上司の疑惑を隠蔽し、自らのポジションを守る、という仕事のやり方にみえる。
ひょっとしたら、佐川氏も同じような構造の中で、犠牲者のひとりであるのかもしれないのだが。
この先、さらに追及が進むことも、安倍総理が国会議員を辞職することもないだろう。
BUT!、追及が度を超すことになった場合、佐川氏も自殺に追い込まれる可能性がある。
真実は知りたいが、人を死に追い込むほどの追及は必要ない。
ところで、赤木氏の遺書は、どこからどういう経緯で出てきたものなのか?
皆さんは気にならないだろうか。
ニュース各社は、ニュースソースから真実を伝えることをモットーとしなければいけないはずなのに、そこを飛ばして、これは真実ですからどうぞ、そのままお聞きください、という報道をしている。
コロナウイルス報道もしかりで、今、このニュースは本当に正しい情報なのか?、情報操作されていないものか?、フェイクニュースでないのか?をしっかり見極めることが、視聴者には求められている。
ということで、
赤木氏の遺書の出どころは?、なぜ今のタイミングで出てきたのか?、今までなぜ隠されていたのか?、果たして本物なのか?、といろいろ気になって、調べてみた。
ここからは引用が多くなるが、元ソースを明らかにしながら、進めていきたい。
森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん事件に関連し、2018年3月7日に自ら命を絶った財務省近畿財務局管財部の上席国有財産管理官・赤木俊夫さん(享年54)が、死の直前、決裁文書の改ざんの経緯を詳細に記した「手記」を遺していたことがわかった。
大阪日日新聞記者で、森友学園問題を当初から取材し続けている相澤冬樹氏が遺族から「手記」全文、および関連する手書きのメモの提供を受けた。
なるほど、文春砲だったのだね。
おまけに、遺族から赤木氏の遺書となったメモ全文を受け取って記事を書いた相澤氏は、元NHK記者で、森友問題のスクープのせいで、退社に追い込まれたという、すごい人だった。
たまたまその夜、私は大阪報道部のフロアで部長と一緒にいました。小池局長は部長の携帯電話にかけてきたのですが、その声は横にいる私にも聞こえるほどの大きさでした。ただ、小池局長がニュースを見て怒ったのなら、放送中か放送直後に連絡してくるはずなんです。ところが、実際には時間差がありました。19時からの『ニュース7』で報道後、局長から電話があるまで3時間くらい経っていた。
おそらく、その間にニュースを見た人物から、小池局長に『あんなニュースを出して、どうなっているんだ』というような連絡が入ったのでしょう。電話の後、部長は苦笑いをしながら『あなたの将来はないものと思え、と言われちゃいましたよ』と言っていました
かつてのNHKには、こんなに骨のある記者がいたんだね。
現在のコロナウイルス報道を見ていても、政権の御用学者を集めて、政権の顔色をうかがいながら毎日恐る恐るのニュースを流しているようにしか見えないのだけど。
BUT!、その原因を、相澤氏は、このように明快に暴露している。
森友問題をめぐるNHKの報道には安倍政権に対する様々な忖度がありました。以前はあり得なかったことです。NHKだけでなく、官邸はテレビ朝日の『報道ステーション』にも介入したと聞いています。時の政権が報道内容に露骨に介入してくる。実態は“忖度”でなく、“介入”なのです。
報道機関に介入するくらいですから、財務省など行政機関には平気で手を突っ込んでくるでしょう。官僚は自分たちの手足ですからね。そう考えると、森友との国有地の取引は、官邸の意向によってゆがめられた可能性もあるわけです
森友問題だけでなく、すべて、政権への忖度により番組つくりがされているのだろう、と思いきや、「介入」がされているわけだ。
そりゃ、報道も捻じ曲がるし、五輪問題についても世論のガラパゴス化が進んでいるように感じるが、これも「介入」によるものだろう。
引用させていただいた記事が、メチャクチャ良い記事で、分かりやすいから、引用記事をぜひ読んでいただきたい。私としては、これ以上に語るべきことはない。
あ、忘れていた。
この記事のテーマは、私と報道ではなく、私と英語であった。
日本人は島国で、独自の文化を作ってきた。
日本語という言語もそのひとつで、島の外においては誰も使わない。
と思いきや、使っている人がいるのです。
かつて一緒に仕事した仲間で、台湾人の聡明な女性がいる。
彼女は、結婚して現在マレーシアに住んでいる。
彼女のノートは日本語で書かれているのだ。
なぜ?不思議でしょう?
彼女は、中国語も英語も日本語もあやつれるマルチリンガルなのだが、彼女曰く
日本語が一番わかりやすい
というのである。
ほかの言語でノートをとると、後で見た時にすぐにわからないのだという。
確かに、日本語は覚えるのに難しい言語だといわれるが、日本語を英語に翻訳すると、え、こんな簡単でいいの?と驚くことが多い。
英訳した瞬間、細かなニュアンスを吹っ飛ばしてしまって、何のことだかわからなくなる。
日本語でメモしておくと、重要なことが分かりやすくちゃんと保存され、一覧性も非常に見やすい、というのが、彼女の意見である。
彼女は、日本語メモをこの先もずっと使いたいと言っている。
彼女の脳は、日本語で考える脳に仕上がったのだろうと感じる。
言語の違いは、思考のメカニズムも違いをつくる、と感じる。
日本人の思考回路、思考法、日本語的発想が、ガラパゴス化を作っているのだと思う。
BUT!、ガラパゴスはいい島で、守るべき種が多い。
多様性は大事にしないとね。
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