前向きに生きるだけでは幸福になれない理由
小学生の頃、遠距離バス通学していた。
乗り換え時間を含めると、片道2時間ほど、往復4時間もの退屈な移動時間を、エンターテイメントタイムに変えてくれる「読書」は最上の愉しみであった。
毎日帆布の手提げに詰め込めるだけの本を押し込んで、読書通学を楽しんでいた。
小学校高学年になると学校の図書室には読んだことのない本がなくなり、学校帰りに市立図書館に立ち寄り、本を借りていた。
そんな私の読書人生で、最も影響を与えた作家が、山田太一である。
山田太一といえば、私の世代であれば何と言っても「ふぞろいの林檎たち」である。
「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」など、数々の「山田太一シリーズ」を世に出した脚本家である。
彼の作品は、演出家や役者のアドリブはNG。
”脚本家が書いたセリフを正確に再現するドラマ作り”を確立させた、日本一の脚本家である。
そんな彼が、脚本では書ききれなかった具体的なテーマがたくさんある。
彼の生き方、考え方、思いが、数々のエッセイに綴られている。
その代表作として、今回取り上げるのが、
幸福になれない理由
山田太一×小浜逸郎(1998年)
である。
批評家の小浜逸郎との対談形式になっているので、山田太一のパートは半分しかないが、小浜逸郎の秀逸な論評によって引き出される、実に山田太一らしい”細やかで熱い”語りには、”刺さる言葉”が実に多い。
作品の構成を紹介しながら、グサリ刺さった言葉の数々をご紹介したい。
第一章 豊かさと退屈の時代背景
では、神戸児童惨殺事件、オウム事件を取り上げている。
この時代、少年・酒鬼薔薇と教祖・麻原彰晃という狂気の殺人鬼が続けて登場した。
その背景となった、当時の大人と若者の考え方、傾向を分析している。
第二章 ”自分らしさ”の不透明感
では、当時ベストセラーとなった「脳内革命」をとりあげ、
前向き(ポジティブ)に生きるとは
をテーマに語り合っている。
小浜逸郎は、この世は”ゼロサムゲーム”だと断定し、一人の人の幸福が他人の不幸を招き寄せる可能性について言及している。
一方、山田太一は、最近ポジティブシンキングという言葉をよく耳にするようになったが、脳内革命では変えられない現実もあると、訴える。
さらに、ポジティブシンキングで行こう、という言葉は、逆に、潜在的な不安感を表しているという人もいます、と掘り下げている。
自分の意識をプラス方向にしても、現実は動かないのだけれども、意識を変えることで別のものにしてしまおうという欲求にはリアリティを感じます。
と、まとめている。
私は、人生万事ドーパミン!というタイトルではてなブログの運営をしているので、この山田太一の慧眼の矢に、グサグサと刺されまくった。
前向きに!明るく行こう!というポジティブシンキングは、潜在的な不安感を隠すための表現でしかなくなってしまっているとしたら、どのような解決策があるのか?というと、山田太一は、かく語りき。
断念する勇気自体がポジティブである
と。
それはどういうことかというと、ズバリ!
目をそむければ暗いことは消えてなくなると思っている人を楽天的とは言えない。むしろ、それは一種の神経症と言った方がいいかもしれない。
と、断定され、さらに、
自分で何事かをなしたような気でいることも、多くは状況や構造の産物、
結局のところ深層の無意識に支配されていたり、
確たる意識を貫いてくじけないつもりが、心身症というようなものが出て肉体に裏切られてしまうこともある。
人間は災害の前にはひとたまりもなく、指先の怪我ひとつでへとへとになってしまい、悪意中傷にも弱く、孤独に弱く嫉妬深く、その上なんだかんだといいながら戦争を始めて殺し合ってしまう。
つまり立ち止まる勇気が求められている時代だと思います。
可能性を追わない勇気、買えるけど、買わない節度とかー。
いや、実に深い。
底の底まで、見通されている、恐れ入るのです。
私のブログタイトルは、私は、一種の神経症です!と宣言しているようなものだということを、山田太一に見透かされてしまった。
実に恐ろしい人である。
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