人生は猫のためにあるものじゃないか?
なぜ猫は許されるのか、なんてタイトルだと、猫好きはまるでねこじゃらしを目の前で揺らされたネコのように反応してしまうのだ。
私もそのひとりで、にゃにゃにゃ工務店のJuneNNNさんが先に投稿されてたので、私も見たぞ、とコメントしようと、つらつら書いた後、投稿ボタン押そうとしたら、ボタンが見当たらない。
すでに既定の100文字オーバーだったらしく、「161/100」と表示されていた。
調子にのって打ちすぎて、投稿文字数オーバーで、ボタンがなくなっていたことが判明。
ねこと暮らすということは、ねこに共に暮らしてもらうということです。
ウチはウチから出さないから、籠の中の鳥と同じです。
それでも、しあわせな時間を一緒に一杯すごしてほしいから、思い切り、甘えさせてあげます
せっかく打った61文字、もう正確には思い出せないけど、続きを書くことにした。
ねこを飼うという表現は嫌いだから、なるべくそういうふうに書きたくない。
けど、分かりやすく書くためにあえて書くと、ねこを飼うということは、その猫の幸せに責任をもつということ。
私を買主に選んだおかげで、いい人生だった、と言ってもらえる、猫生を生きてもらうこと。
だとおもうから、娘を育てた時のように、しつけなぞしない。
思い切りわがままに甘えさせてあげる。
だっこといわれれば、どんな状況であっても抱っこするし、こんなもの食べたくないといわれれば、別のごはんを用意する。
おやつもあげる。
我が家のエンゲル係数は、自分と妻の分より、ねこのほうが高い。
犬を飼う人は、犬にしつけをするが、私には、これが理解できない。
しつけをしたくてペットを飼うのか?
自分に従わせるために飼うのか?
自由にさせてあげなよ。
ペットにも、人権があるだろう。(人権はないけど、猫権とか犬権はあるだろう?)
アドラーは、子供を尊敬しろと言っているが、私は、猫を尊敬しろといいたい。
存分に甘えて、おいしいものを食べさせてやらないのなら、ペットを飼う意味がない、と思う。
ペットは、買主を選べないのだから、できる限りの幸せを与えてやらなければならない義務があるはずだ。
こうしてねこっ可愛がりして一緒に暮らしているから、うちの愛猫は、妻がヤキモチやくくらい、私にべったり、くっついてくる。
朝な夕なに抱っこして、なでてあげる。
ごろごろとのどを鳴らし、すりすりと顔を寄せたり、なめてくれたりするが、お互いにこの時間が幸せであり、すべてのストレスから解放され、癒されていると思う。
セロトニンが、つゆだく状態。
全面的な信頼関係がなければならないと思う。
ここまで読んで、バカかこいつは、と思った人はいないだろう。
そう思う人は、もうとっくに読み進めていないはずだから。
猫と暮らして、猫と幸せを分かち合う人生を楽しんでいる仲間たちは、大なり小なり似たようなことを体験していると思う。
猫と暮らすとは、そういうことだ。
そうそう、北の猫暮らしのnanakamaさんが、正月に見たと記事に書いていた「猫侍」、まさに班目久太郎が、「猫を愛する男」の真の姿だ。
猫侍で、北村一樹のファンになった。
おっと、話がどんどんそれているぞ。
すでにハビタブルゾーン圏外に行ってしまってるのではないか?
ハビタブルゾーンは、トワイライトゾーンの仲間じゃないよ。
www.helio5.comは、宇宙のロマンあふれるすばらしいブログなのだ!
そう、私たちが、この宇宙で、地球というハビタブルゾーンで生かされているように、ねこも買主の家をハビタブルゾーンとして生かされているのだ。
私たちは、愛猫を、地球にとっての人類のように、母のように慈しみ、守ってやらねばならないはずだ。
我が家は、信州の寒山に建つので、冬の寒さは厳しい。
BUT!、薪ストーブという、人類の叡智が、部屋を暖めてくれている。
妻は寒さに強く、なかなか薪ストーブをつけようとしない。
上に着こんだり、毛布をかぶったりしてごまかしてしまう。
が、私は、愛猫が寒くないように、早め早めにストーブに火をくべる。
薪ストーブが温まると、ストーブの下に入って、
寒かった、これで安心、あったかくなった、
と喜ぶ愛猫の姿に見とれることができる。
我が家は、すべて愛猫のためにある。
なぜ猫は許されるか?って?
人生は、猫のためにあるものだから
それがこの宇宙の真理である。
ねこを愛す男がねこのマンガを描くと、こうなるのだ。